楽しみにしていた割りにはあまり気に入らなかったドラマを見終えて、 携帯をもってリビングのソファーから立ち上がる。  先程まで続いていた友達とのメールもぷつりと途絶えて、 もう寝てしまおうかと階段を半分上り終えた所でそれが掌で震えた。




「もしもし?」





受話器の向こうのしんとした空気の中で響いたのは、紛れもなく北山の声だった。


















こんな時間に掛けてきておいて、謝罪の一言もないのが彼らしくて、余計にその声をリアルにさせる。  北山らしい声で、俺、免許取ったんだ。なんて嬉々として言う北山に笑みが零れた。


「なー、これからちょっと出ねえ?」


なんでもない様にそう笑った北山の声に酷く動揺する。
私と彼の間に、意識するような事なんて何一つないのに それなのに過剰に反応してしまう自分が悲しかった。

彼女に怒られても知らないよ、と精一杯の抵抗を試みてみたけど、 それすら北山は笑った声で平気平気と、何度も繰り返して受け入れてくれない。  そうして、私の言葉なんて碌に聞きもせずに、これから迎えに行くからと それだけを残して北山は一方的に通話を終わらせた。


耳元に響く電子音がやけに木霊して、頭がぼんやりとしてしまう。


そして結局私は北山の気紛れの為にとびきりの洋服を身に付け、とびきり念入りにお化粧をする。 北山が嫌いなキツイ匂いの香水は避けて、しつこくない香りの物を気持ち程度につけた。





幾分も立たない内に、また私の携帯がテーブルの上で震え始めて、 そのディスプレイにはやっぱり北山の名前。  届いたメールを覗けば"着いた"の3文字
その最後にきっと誰にでも使うんだろう可愛らしいハートマークまで添えられていて、 何でもない事だろうに、喜んでしまっている自分がいた。


大きな足音を立てないように気をつけながら、階段を下りてお気に入りのパンプスに足を通す。
ギッ、と鈍い音を立てて開いた玄関の向こうに、チカチカとハザードを光らせる一台の新車。
その前に立っていた派手な頭の男が右手を上げて、私を見て笑った。
北山は相変わらず私の心を連れて行くのが上手くて、そんな動作にも一々ドキリとしてしまう。

久しぶり、と笑うその表情は随分と穏やかで
高校時代とは何かしら変わった部分があるのだろうか、そう思ったら
北山自慢のあの可愛い彼女の笑顔までも思い出してしまって、小さく溜息が漏れた。




「どうしたの、急に」


そう呟くように言葉を繋ぎながら少しずつ北山に近付いて行く。
ご親切にも助手席のドアを開けてくれる北山を戸惑った心のままで見詰めれば、
どうぞお嬢様。なんて悪戯っぽく笑われる。



「まあ、とりあえず乗れよ。」


そう言う北山に、私は従うしかなくて おとなしくその車内へ乗り込む。
真新しいそこに、先程の電話で話していた北山の免許取たてという言葉が蘇る。
仕事の都合で思っていたより遅くなった、なんて言っている割に北山は嬉しそうで
その表情を見て、ほんの少しだけ私も笑った。

だけど、やっぱり混乱と困惑は隠せないでいる。


「ちゃんとシートベルトしてな。一応若葉マークなんで」
「うん、判ってるって。特に北山、運転荒らそうだし」
「失礼な。俺意外と丁寧な運転すんだぜ〜?教官にも褒められたし」
「どうだか」
「まあ、見てろって」


そう言ってぐっとアクセルを北山が踏んで、車がゆっくり動き出す。

時間帯的に車数の少ない道路に出て前から後ろへと流れていく光達を見ていれば
少しばかりの憂鬱な気持ちも拭われていくような気がした。
BGMは北山らしいサウンドが控えめなボリュームで流れていて、それすら心地良い
隣ではご機嫌な北山が鼻歌を歌いながら大きな交差点でハンドルを右に切る



「何処行くの?」
が好きなところ」




久しぶりに聞いた彼の声での自分の名前
それは想像以上に愛おしいもので、少しだけ鳥肌のたった二の腕を気付かれない様に摩る。
私の好きな所?と問いかけてみても北山は答えてはくれなくて、 暫くしたら判るから、なんてまた鼻歌に没頭してしまった。



対向車線を走る車のライトが眩しくて目を閉じる。
目を閉じればより一層他の器官が働いて、彼の変わらない香水の匂いを感じ取ってしまう。
それは彼女に貰ったのだと嬉しそうに話していた香りで、その匂いに罪悪感ばかり感じてしまう。



「ねえ、この道覚えてる?」


ふとポツリと呟いた北山のその言葉に、視線を上げれば見慣れた町並み。

それは高校時代によくつるんだ仲間と遊びに来た海岸沿いの町で、 もう随分前のような気がするのに、ここの景色はあの日と変わらない優しいものだった。
懐かしいよな、なんてあの頃の北山のような顔をしてみせるその横顔を盗み見て、
当時からずっと変わらない北山への気持ちがグラグラと私を揺さぶった。


あの頃は良かった

何も言わなくても皆が居て、騒いでいられたし
勿論北山だって例外ではなく私の傍にいてくれて
寂しいだなんて気持ち、知らなくて済んだのに。












冷たい風と潮の香りを運んでくる砂浜の手前で、北山は車を停めた。

窓を少しだけ開けてその夜風に当たりながら、凭れるようにシートに身を委ねる。
そんな私の動作を見て、北山が少しだけ笑って、そういうとこ変わんねーよななんて優しい声。
ハンドルに両手と顎を乗せて、私を見てまた笑う。
昔から変わらない北山のその屈託のない笑みに私は弱くて、 思わず感情が表に出てしまった照れ顔を隠すように、視線を海の方へ向ける。



「てかさ、、ちょっと会わない内に女らしくなったじゃん」
「…なにそのクサイ台詞」
「あれだろ、ようやく彼氏でも出来たか!」


そうニヤニヤ笑う北山にバカじゃないの、なんて悪態をつく。
だけど内心は無性に泣きたい気持ちでいっぱいで、今も昔もあんたが一番に好きなんだよ
昔より可愛いくなった、なんてそんな風に頷かれたって私、正直に喜べないよ



「お前昔はホント男みたいなやつだったかんなー」
「失礼な、昔からあんた達の中で紅一点だったじゃん」
「いや、よっぽど横尾の方が女らしい、ってか母親だけど。ぽかった」
「あーそれは言えてるかも」



そうお互い顔を見合わせて笑って、北山が懐かしいななんてまたポツリと呟いた。
今度集まろうぜ、と嬉しそうに言う北山に、複雑な思いで頷いて また海を見詰める。
しんとしたこの空間で二人きり、まるで北山と私が愛で繋がった関係であるかのように錯覚してしまう


またあの感情に陥ってしまわないように、早く北山から離れなくちゃとそう思った。


わざと時間を気にするフリをして、腕時計をチラリと確認してみせる(それを北山が見ている事も判っていて)
そうすれば案の定、北山はそろそろ戻る?なんて予定通りに呟いてくれた。
そうだね、と残念そうな顔をして見せたら北山は静かにキーに手を伸ばした。













「…ねえ、なんで急にドライブだったの」




首都高を降りた所で、その疑問をぶつけてみると、北山はさも当たり前かの様な顔で言った。


「だってが言ったんじゃん、一番に乗せてね って」



その言葉に唖然とする。

それは高校3年生の夏、進路の話題で盛り上がっている所で、誰かが呟いた話の時だった。
免許取ったらどんな車に乗りたいだの、免許取れたら何処に行くだの、 そんな風にお互い自分の理想を話しながら笑っている時、冗談交じりに 隣に居た北山のに私がそう言ったんだった。




「ねえ北山は免許取ったら何処行きたい?」
「あーやっぱ海とかじゃね?ていうか去年皆で行った海行きてえ!」
「良いよねあそこ、私も好きだもん。夕日が沈む時も好きだし、夜のあそこも大好き!」
「じゃあ 俺が免許取ったら連れて行ってやろうか?」
「じゃあ しょうがないから付き合ってあげようか?」
「なにその上からの態度、かわいくねーぞ」
「悪うございましたね。 ちゃんと一番乗りで連れてってね、他の人の後なんてやだから!」
「うわ〜ワガママー!!」





当時は何も考えてなくて、ただそうなればいいななんていう妄想だけでそう言ったのに
北山はそれから今日までその約束をしっかり受け止めてくれていただなんて、 そんな事言われたら思わず泣いてしまいそうで、俯いた横顔を見られないようにまた左側の景色に顔を向ける。

だからお前のワガママ叶えてやろうかと思って、と北山が隣で笑うのが判った。
律儀にあんな口約束覚えてるなんてバカだよね、と鼻声交じりでなんとかそれに抵抗すればまた笑う北山。

北山の隣に居るだけでも辛いのに、それなのにこんなに気持ち持っていかれたら私、
居た堪れないよ。


今度は皆で来ような、と言う北山にどうにか頷いて窓の外に向かって何度か泣いた
















* * *















「じゃ、また今度」


家の前で行きと同じように北山が車の前で手を上げる。
その笑顔は、もう私の幸せと並列して漏れる事がないのだと思うと切なかった
おやすみ、と笑う北山に同じように言葉を返して背中を向ける。
私の後ろで、エンジン音が少しずつ遠くなっていくのを聞いて身体の力が抜けた。


北山の幸せを願うつもりで貫き通した片思いが、今こんなにも私を苦しめるなんて
当時北山に恋をしたばかりの私は想像していただろうか。



それでも私は北山の"また今度"に、期待せずには居られないのだ










(2007.04.15 Alice)